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- 相生町(近世~近代)とは
「相生町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 相生町(近世~近代)
江戸期~現在の町名竹屋町通衣棚西入および東入の町衣棚通をはさんで東西に分かれている寛永14年洛中絵図では「東大炊横町」とあり,江戸中期頃までの中井家系の絵図では...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7373302]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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相生町(近世~近代) 江戸期~昭和59年の町名江戸期は姫路城下の1町町人地明治初年~明治22年は姫路を冠称姫路城の南西,博労町の東,船場川沿い町名の由来は,文政年間初めて当地で松影染を製し,高砂相生松の模様を染めたことによるという(市制三十年姫路市史)もとは備前町の一部,江戸末期までに成立したと考えられる明治22年姫路市に所属昭和59年博労町となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」